珈琲を飲んでいます。
外は雪が沢山積もってます。嬉しいです。
あの雪を踏みしめるギシギシという音がたまりません。。
さて今日は、僕がとても尊敬する、フランスの経済学者で哲学者で、
昨今の金融危機を予測し、知の巨人と言われた、あの雪を踏みしめるギシギシという音がたまりません。。
ジャック・アタリさんが、音楽の将来について書いた文章を抜粋して、
ここで紹介したいと思います。
もはや覆水は盆に還らず、ストックされた音楽の利用料を一曲ずつ払うことに人々は同意しないだろう。
しかし彼らは、偉大なアーティストと時間を共有するというかけがえのない経験、
つまり公演に対してはお金を払う用意があるはずだ。
コンサートのマネジメントをする会社が残るだろう。
マネジメント会社は楽器製作会社と共に、未来の大手企業となっていくはずだ。
それだけでなく、別の道も開けていくはずだ。
あらゆる新しい技術を取り入れた斬新な楽器の誕生だ。
それによって新しい音色が生まれるだけでなく、
音楽とほかの分野の芸術の融合さえ実現するかもしれない。
そして雑音と静寂しかなかったら、もはや生命は存在しない。
音楽がなくなったら、人類は消えてしまうのだ。
この旅に意味を与えるひとつの方法が音楽である。
なぜなら多くの人にとって、旅とは何よりも生き延びる手段であるのに対して、
音楽はそこに詩的、空想的、美的な側面を付け加えるからだ。
音楽とはまず、あらゆる宗教体験に必要な要素であり、
超越した存在に向けて精神を集中させるための手段なのだ。
その本当の実力は宗教儀式において発揮される。
音楽自体がすでにメッセージなのだから。
全体主義の時代にはいまも昔も偉大な音楽家たちが抑圧されるのは決して偶然ではない。
彼らのメッセージは非常に強力だ。
ナノテクノロジーの分野では、「聴覚」という概念を大きく変化させる人工装置が作り出されるにちがいない。
最悪の場合、人間を操作し、コントロールする、
軍楽よりもずっと強力な手段となるだろう。
しかしもっともすばらしい可能性として、激情を鎮め、
自己の超越を実現する手段にもなりうるのだ。
次いで都会の放浪者による、誰にでもできる、
練習の不要なグループ即興音楽のための新しい楽器の発明を予告していた。
その時、ラップやスラムはまだ存在していなかった。